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東京高等裁判所 昭和24年(わ)363号 判決

上告人 被告人 小林柳太郎

弁護人 佐久間渡 海野普吉 位田亮次

検察官 渡辺要関与

主文

本件上告はこれを棄却する。

理由

弁護人佐久間渡外二名の上告趣意は同人等共同名義の上告趣意書と題する末尾添附の書面記載の通りである。これに対し当裁判所は次の通り判断する。

刑法第二百五十二条の横領の罪は自己の占有する他人の物(遺失物を除く)を不法に領得することによつて成立する。而して犯人がその占有するに至つた原因は窃盜のような不法行為により占有した場合は別であるが所有者から委託されたによると第三者から委託されたによるとを問わない。またその第三者は事務管理者であると窃盜のような犯人であるとを区別しない(大正六年一〇月二三日大審院判決、録第二三輯一〇九五頁参照)。従つてその占有が合法的であると否とを区別しない。原判示は所論の通りで、即ちこれによれば被告人は昭和二十一年三月頃判示栃木県上都賀郡落合村の山林内に存在した古河鉱業株式会社足尾鉱業所所有の航空機用エチール液入ドラム罐百数十本を何等法令の根拠に基かないで設立された第一復員省終戦残存物資調査会の調査員高田格から奥津吉太郎を通じて右ドラム罐の保管命令を受け、これに基き右調査会のため前記山林内において同ドラム罐を保管中そのうち合計八十一本を擅に他に売却したというのである。さて右判示にドラム罐が判示山林内に存在した云々とあるのはドラム罐が偶然その所有者の占有を離れ所謂遺失物になつていたという趣旨でなく、単にその占有の場所を表示したものと解するのが相当である(大正三年一〇月二一日大審院判決、録第二〇輯一九〇一頁参照)。而してドラム罐の占有は依然所有者にもあつたとしても被告人は他人の占有を侵害する意思がなかつたことは記録上明白で、原判示も被告人に該意思がなかつたという趣旨に解するのが相当であるから被告人の判示行為は窃盜犯人の贓品の処分行為として不問に附すべきものでない。また右調査会は法令に基いて設立されたものでないが他人の事務管理としてその調査員高田格はドラム罐の保管を被告人に命じたものと解するのが相当である。被告人が右命令に基きこれを保管したのであるが、その保管が合法的のものでないとしてもその保管中擅に他に売却すれば横領罪を構成することは前述の説明で明白である。従つて原判決を通読して判示の趣旨は判示ドラム罐が判示足尾鉱業所の所有でそれが遺失物でなく単に山林内においてこれを占有していたのを判示調査員高田格が事務管理として被告人に保管を命じ被告人はこれに基いてこれを保管中他人の占有を侵害する意思なく、単に不法領得の意思でこれを他に売却したのであるということが窺知できる以上所論の諸点を判示しなくても原判決は普通横領罪の判示として簡に失するうらみはあるが欠くるところがない。所論のように原判決には理由不備の違法がない。論旨は理由がない。

以上の理由により旧刑事訴訟法第四百四十六条に従い主文の通り判決する。

(裁判長判事 吉田常次郎 判事 保持道信 判事 鈴木勇)

上告趣意書

第一点原判決は理由不備の違法あるものと信ずる。原判決は其の理由に於て被告人は昭和二十一年三月頃、栃木県上都賀郡落合村大字板橋字下板橋地内の山林内に存在した古河鉱業株式会社足尾鉱業所所有の航空機用エチール液入ドラム罐百数十本を、終戦後、今なお軍が放置したままになつている国有の終戦残存物資であると軽信し、これを利用して相当の利益を得ようと企て原審相被告人奥沢吉太郎と相談のうえ、右ドラム罐の払下を受け、これを他に高価に転売することとし払下がきまるまでの措置としてその頃、何等法令の根拠に基かないで設立された第一復員省終戦残存物資調査会の調査員高田格より右奥沢吉太郎を通じて右ドラム罐の保管命令を受けこれに基き右調査会のため前記下板橋地内の山林内において同ドラム罐を保管中に、

と判示し、次で被告人が右保管に係る判示物件の中合計八十一本を他に売却したるの故を以て刑法第二五二条単純横領の罪に問擬しているのである。仍て右判決理由を熟読してみると、その前段に於て判示ドラム罐百数十本は、古河鉱業株式会社足尾鉱業所の所有に係るものであつて判示下板橋地内の山林内に存在していたものとせられ、これだけでは判示ドラム罐百数十本が右足尾鉱業所の所有に係るものであることが判明するだけでその保管に係るものであるか怎うか其の意頗る曖昧なのであるが、更に原判決はその後段に於て、右物件の占有関係に付、その所有者である足尾鉱業所と全く無関係の被告人が、是亦、その占有関係に付て右足尾鉱業所と全然無関係で、而かも何等法令の根拠に基かない第一復員省終戦残存物資調査会の調査員高田格より本件物件の保管命令を受け、之に依り前記山林内の本件物件は被告人の保管に係るものであると判示していることが判る。然しながらこれだけでは、前記山林内に存在していた本件物件が如何にして適法に被告人の保管に属することになつたのか又、法令の根拠に基かない前記高田格の保管命令が如何にして被告人の本件保管行為を合法ならしめるのか、全く之を知ることが出来ないのである。却つて判示自ら指摘する如く、所有者と全く何等の関聯性を認め得ない本件物件の保管行為は、それ自体に於て已に違法状態に該当するものではないかと疑わしめるものであり、この点は本件判示事実に於て被告人の占有取得原因が、若し違法のものであれば被告人の右保管行為自体が犯罪行為に該当することとなり、従つて判示一、二掲記の被告人が本件保管目的物の中その一部を売却処分した行為は単純横領の罪に該当しないこととなつて、本件横領罪の成否に関する重要点であると考える。

そこで本件物件に対する占有関係の移転の跡を尋ねてみると、前記の如く原判決は、本件物件は足尾鉱業所の所有で前記下板橋の山林内に存在していたとするのであるが、右「存在していた」とは法律的に何を意味するのであろうか。所有権者のある儘に他に存在していたとするのであるから之を占有関係に付て考察してみると、右物件は足尾鉱業所の占有に係るものであるか或は然らざるもの即ち占有離脱の状態にありたるものであるか、二者の中孰れかその一と解釈する他はない。仍て先ず本件物件が足尾鉱業所の占有に係るとする場合を考えてみる。この場合は即ち本件物件に対し足尾鉱業所と被告人との複数の占有主体を生ずることとなるのである。凡そ占有関係に於て、一物に対して複数の占有主体を生ずる場合は、その間に占有代理関係の存する場合(代理権に基ずき所持する場合、賃貸借、質権、寄託、委任等の場合)を措いて他に考えられないのであるが之を本件に付て考察してみると、前記足尾鉱業所と被告人との間に占有代理の関係が存在しなければならない理である。然るに原判決理由自体に明らかな如く被告人と足尾鉱業所、又は被告人に対し本件ドラム罐の保管を命じた第一復員省終戦残存物資調査会の調査員高田格と右足尾鉱業所との間には、全く占有代理を生ずる法律関係の存在を認め得られないのである。又本件記録を仔細に査閲するも斯かる趣旨の証拠は一も之を発見するを得ないのである。斯くて原判決は本件物件の保管者に付、法理上認め得べからざる二個の占有主体を認めたこととなり、甚しい理由齟齬を犯したこととなつて破毀を免れないであろう。尤も右の点に付ては、被告人が本件物件の保管者となると同時に、前記足尾鉱業所の占有権は消滅したものと解するのが妥当ではないか、との見解があるかも知れない。仍て暫らく此の見解に従つて論を進めることとする。

本件記録編綴の足尾銅山宇都宮出張所長星野峰松作成提出に係る被害始末書に拠れば、本件ドラム罐は昭和二十一年三月十六日栃木県庁輸送課より無償にて払下になり、上都賀郡落合村大字文狭山林に保管し置きたるところ、同年三月十六日から同五月十六日迄の間に何者かに窃取された旨の記載があつて、本件ドラム罐の保管責任者であつた星野峰松が、右占有権を他に譲渡したり又代理人に依つて占有をした形跡もなく且、占有の意思を抛棄した形跡もないことが明らかである。又本件記録中他に之を否定する証拠もない。従つて前述の如く、足尾鉱業所の本件ドラム罐に対する占有権が消滅したものと解すると、其の消滅原因は代理人による占有でもなく、占有権の譲渡でもなく又占有意思の抛棄でもないのであるから、結局前記始末書掲記の「窃取」されたとの法律的見解の通りとならざるを得ない。そこで若し被告人の本件ドラム罐の占有取得原因を「窃取」に依るものであるとすれば、原判決理由一並に二掲記の本件ドラム罐合計八十一本を他に売却した行為は、右窃取の事実に吸収せられて之が刑責を問われることなきに至り、被告人の本件に於ける刑責は、前記山林内に存在したドラム罐百数十本の窃取行為であると断ずる他にないのである。而かも右窃取行為は 本件公訴事実と其の同一性を欠くこと明かであつて、本件処罰の対象となるを得ず、原判決は刑責なき行為を以て単純横領に問擬したとの譏りを免れないのである。

然かのみならず他面、被告人の本件ドラム罐に対する占有取得原因を以て「窃取」となすの妥当なりや否に付、更に記録を検討してみると原判決理由自体にも明かな如く、被告人は-中略-ドラム罐百数十本を終戦後今なお軍が放置したままになつている国有の終戦残存物資であると軽信し、云々とあつて、被告人には全く窃取の犯意を認めることが出来ず、又被告人に対する司法警察官聴取書(第一、二回)並に第一、二審各公判調書中の被告人の供述記載等に徴するも全く之と同様であつて、被告人は本件ドラム罐が足尾鉱業所所有のものであり同所保管に係るものであつたことを全く知らず、且、不法領得するの意思全く無かつたことが明かである。被告人の本件ドラム罐百数十本を保管するに至つた行為に対し、窃盜の刑責を以てするのは甚だしい誤謬であると謂わざるを得ない。従つて被告人の本件ドラム罐に対する占有取得原因を窃取に依るとするのは到底採用するを得ないのである。

次に、判示山林内に存在したとの意味は、本件ドラム罐百数十本が已に所有者である足尾鉱業所の占有を離脱していたことを意味するのではないだろうかとの疑問に付て考えてみる。

本件記録編綴の検証調書並に原審証人五味淵定に対する証人訊問調書、更に証人星野峰松の原審(差戻後)第二回公廷に於ける供述記載等に依れば、本件ドラム罐百数十本が栃木県輸送課より足尾鉱業所に引継がれた後は前記下板橋の山林内に監視の番人を附することもなく、又所有権の帰属を明認するに足る公示方法も構ぜられず、更に附近住民に窃取せられる儘に任せられていたこと等が窺知せられるのであつて、斯かる状態に鑑みれば、右物件に付て仮令その占有権者に於て占有の意思を抛棄せず共、客観的に占有権者の事実支配を離れていたものと云うことが出来るかも知れないのである。(尤も斯かる状態を以て刑法上の占有離脱の状態にあるものとするには尚、疑問の存するところであるが、茲では仮りに刑法上占有離脱の状態にありたるものとして論を進める。)従て若し占有の離脱したものであるとすれば、本件ドラム罐は遺失物として、被告人が判示の如く仮令法令の根拠に基かずとも前記高田格の保管命令によつてその保管者となり、判示一、二掲記の行為をなしたこととなるのであつて、或はこの見解を以て前掲判示事実の自然的な解釈となすことが出来るのではなかろうかとも考える。

然し乍ら原判決は本件事実に付て明瞭に之を単純横領とし、その刑責も懲役一年六月を科しており、本件ドラム罐が遺失物であることは全く之を否定しているのである。果して前陳下板橋山林内に存在した本件ドラム罐とは之を法律上如何に解釈すべきであるか。原判決判示の事実に於て、前記ドラム罐百数十本に対する占有権の転移過程は本件横領罪の成否に関するだけに、弁護人は右「存在した」との文言の解釈に甚しく迷うのである。而して原判決は右山林内に存在した本件ドラム罐百数十本が如何にして適法に被告人の保管に移転した(或は取得した)かの点に付ても甚しく明瞭を欠いている。殊に前述保管命令は、何等法令の根拠に基かないで設立された第一復員省終戦残存物資調査会の一調査員より発せられたに過ぎないものであつて、斯かる命令が如何にして被告人の本件保管行為を合法ならしめるかの点に付いては毫も之に触れるところがない。単に右「存在した」との文言だけでは本件物件に対する被告人の占有関係と足尾鉱業所との占有関係とは之が如何なる関係にあつたか全く窺知することが出来ないのである。尤も右の点に付ては次の如く謂うかも知れない。即ち原判決は本件物件が足尾鉱業所の所有に属し、而して之が被告人の保管に係るものであることを判示しているのであるから、横領罪の判示には何等欠くるところはないのではないかと。成る程、原判決は、形式的にはその要件を充していると謂い得るであろう。然しながら本件にあつては、足尾鉱業所(所有者)と被告人(占有者)との間には法律上何等の関聯が見出されないのである。換言すれば被告人の本件物件に対する占有権取得の根拠が判明しないのである。却て、判示事実に依れば「……軽信し……企て……法令の根拠に基かないで……」とあつて被告人の本件物件に対する保管行為は違法行為であることを疑わしめるに充分であり、従つて前述の如く、本件横領は成立せざるかの疑がある本件にあつて、足尾鉱業所が判示物件に対し如何なる占有関係にあつたか、而して被告人の占有関係は之と如何なる関係にあつたかは、本件横領罪成否に関するものであつて判文上不可欠の要点であると謂わねばならない。

斯くて原判決の判示事実に依つては前陳の如き疑問百出して、遂に被告人の判示行為が単純横領罪に該当するか、遺失物横領罪に該当するか、或は窃盜罪に該当するか、更に右孰れにも該当することなくして他罪に該当するか、或は全然無罪を以て論すべきに非ざるか輒く之が去就を決することが出来ないのである。

記録編綴の前上告裁判所である御庁第十一刑事部の昭和二十三年六月四日附判決にも、その理由に於て「-被告人に命ぜられた右物件の判示保管と右物件に対する星野峰松の判示保管とは如何なる関係にあるかに付ては明白に説示せられていない-」と判示して、被告人の本件物件に対する占有関係と足尾鉱業所の占有関係とが如何なる関係にあつたか之を説示しなければ本件横領罪の成否が不明となるし、原審に対し判文上之が明示を要請しているのに拘らず、原審は全くその事を無視したものであつて、上級審の裁判の拘束力を規定する裁判所法第四条の規定にも明かに違反しているものと言うべきである。

之を要するに原判決は、被告人の本件ドラム罐保管行為と足尾鉱業所のそれとは如何なる関係にあるのか、従つて、被告人は如何にして適法に本件保管行為を為すに至つたのか、又前記高田格の保管命令が如何にして被告人の本件保管行為を適法ならしめるのか、之等の点に付て甚しい理由不備の違法があり、且甚しい杜撰な判決であると断ぜざるを得ない。吾人の法律常識を以てしては到底原判決理由を理解することが出来ないのである。

是れ原判決が当然破毀せられるべきものと確信する所以である。

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